
かつては、教会や牧師が免罪符を発行していました。今でこそ批判されますが、過去に犯した罪で苦しんでいる人々を救う免罪符には、免罪符なりの正しさがあったのだと思います。
しかし貨幣経済の浸透により『お金』の力が強まったことで、教会や牧師も『お金』に支配される人が現れます。彼らは免罪符の正しさを悪用し、単なる金儲けの手段としてしまいます。
結果、宗教の権威が落ち、宗教改革に繋がりました。
その後遺症からか現代では、神よりも『科学』を信じている人が多くなったと感じます。
現代社会の人間は、神を科学、教会を大学、牧師を学者と変換した宗教を信じているともいえます。
ご存じの通り、何かを信じるのは素晴らしいことではありますが、一方で危険なことでもあります。
それは『科学』も同様です。
例えば、水俣病では、工場の廃液を摂取した猫が水俣病になることを、チッソの付属病院は昭和31年の段階で分かっていました。
しかし、大学教授等の権威ある人々が『科学』により風土病としたことから、そちらが優先されてしまい、昭和43年まで有害な廃液は流され続け、被害が拡大しました。
また、共産主義という新しい理論、すなわち『科学』が流行り出した頃、富裕層は頭を抱えました。このまま共産主義が浸透していくと、自分や祖先が築いた財産が、全て没収され国有化されてしまいます。
その流れを変えようと当時の富裕層が行ったことの一つは、大学や学者への献金でした。大学の運営費や学者の研究費を寄付し、大学人事や研究内容へ関与することで、全く別の『科学』が台頭されるよう図ったのです。
かつての私は、ノーベル経済学賞を受賞するような学者の論文を、昔の人々が神の免罪符を信じたように盲信していました。
しかし、心から尊敬できる経済学者の話を伺うにつれて、その危険性を理解できるようになりました。
我々は『科学』の危うさまでも学ぶ必要があります。